かみなりさま
今年は例年になく、急な雷雨が多いように感じられます。遠くから聞こえてくる分には風情を感じたりもしますが、近づいてきた雷には、空気が振動するような雷鳴やすさまじい稲光など、大自然の圧倒的な迫力があります。
時に大きな被害ももたらす雷ですが、日本では古くから畏怖の念とともに、どこか親しみも込めて、雷の神様、「かみなりさま」と呼ばれてきました。鬼のような姿で、頭に角があり、トラの皮のパンツを履き、太鼓を打ち鳴らしている…、怖ろしいような、でもちょっとユーモラスな姿を思い浮かべる人も少なくないかもしれません。
また、子どもの頃に雷が鳴ると「雷様におへそを取られないようにおへそを隠して」と言われたり、聞いたりしたことがある人もいるのではないでしょうか。実際におへそを取られるようなことはないと思いますが、俗説としてでも長く言い伝えられてきた理由として諸説があるようです。
ひとつは、雷が鳴る時は空気が冷たくなるため、お腹を冷やさないように子どもたちに注意を促したのではないかというものです。実際、雷雨の後には急な気圧や気流の変化が起きるため、短時間の内に気温が下がることもあるようなので、体調管理には注意が必要です。
また別の説として、雷は周囲よりも高い所に落ちやすいため、おへそを守るための姿勢、前屈みになる姿勢により、雷が落ちることを避けようとしたのではないかというものです。落雷にあった時に身を低くするという方法は、近年でも「雷しゃがみ」という緊急対応法が知られています。
雷が近づいてきた時の身を守る行動としては、まずなによりも、広場や木の傍から離れ、頑丈な建物や車内に避難し、窓を閉めることがよいと言われています。ただ、その方法が取れない、屋外にいて逃げる場所がない時の最終手段として「雷しゃがみ」が推奨されています。そのポイントとしては、1)姿勢をなるべく低くする、2)電流が流れないように足をそろえる、3)落雷の音で鼓膜が破れないように耳をふさぐ、4)地面との接する面積を少なくするためにつま先立ちをする、ということが挙げられています。
ところで、「雷が落ちる」「雷を落とす」という言葉は、慣用句としても使われます。目上の人が下の者に対して、大声で怒鳴るなどして𠮟りつけることを指すとされます。怒鳴り声が大きな雷鳴を連想させることも関係しているのでしょう。
平安時代の貴族・菅原道真は、学問の神様として有名ですが、天神、すなわち雷神として祀られています。これは、大宰府に流された道真の死後、平安京に落雷があり、朝廷の要人に多くの死傷者が出たという出来事がきっかけになっていると言われています。当時の人々は、この落雷を発端とした事件を道真の祟りと考え、彼を手厚く祀ることで、その怒りを鎮めようとしたのでした。このようなエピソードからも、雷=怒りというイメージは繋がっているのかもしれません。
怒りは、激しく、破壊的な面を持っているため、よくない感情と捉えられがちで、抑え込まなければならないものと思われてしまうことも多いのではないでしょうか。ですが、怒りには、人を動かすモチベーションとしての、建設的な側面もあります。怒りの感情と上手に付き合うことは、周囲とのコミュニケーションを円滑にするだけでなく、自分自身の生産性を上げていくことにも繋がると考えられます。
怒りと上手に付き合っていくための方法としてアンガーマネジメントがありますが、その中でも有名な方法に「6秒ルール」というものがあります。人間の怒りのピークは長くても6秒と言われているため、6秒待つことで怒りをある程度鎮静することができるということです。その時に、ただ6秒数えるだけでなく、深呼吸をしたり、それでも落ち着かなければ、一旦その場を離れて飲み物を飲んだりすることなども有効と言われています。
怒りが完全になくなる訳ではありませんが、少し冷静になることで、怒りの原因となった出来事や自分の感情を客観的に捉えなおし、建設的な対応を取ることに繋げていきやすくなるでしょう。
災害にもなりかねない落雷を「かみなりさま」と親しみも込めて呼びながら、大事に祀り、具体的な対処法も伝えてくれる先人の知恵は、現代のわたし達にも様々なことを教えてくれていると思います。