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こころの中の「鬼」

Kamiya

心の中の鬼/節分の鬼の面とヒイラギの写真/カウンセリングオフィスフロローグのコラム

 二十四節気において春の始まりとされる「立春」。日本において2月上旬は1年で最も寒さが厳しい頃ですが、それでも暦の上では春。春という言葉を聞くと、日差しがおだやかな暖かな日を想像しますが、暮らしの中での季節は冬。コートの襟を立て、マフラーに手袋と洋服は冬仕様…。それでも、冬至の頃よりも日の長さがぐっと長くなり、寒さの中に春のかけらをみつけることができます。

               

 「立春」は節分と密接な関係にあります。「節分」とは、その言葉が表すように季節の分かれ目の日。そして節分の翌日にあたるのが「立春」です。

 古代の中国では、冬至を1年の区切りの日と考えていましたが、次第に「節分」を1年の節目の日、つまり大晦日に相当する大事な日と捉えるようになりました。それに伴って節分の翌日である「立春」は、春の始まりであると同時に「1年の始まりの日」を意味するようになりました。

 今も受け継がれている「節分」の行事といえば、「豆まき」。「鬼は外!福は内!」というかけ声はとてもなじみ深いものです。日本人にとって「鬼」というものは、悪いもの・恐ろしいものの象徴です。

 しかしその一方で、地域によっては「鬼は外!」というかけ声をしないところもあります。また、江戸時代には「鬼門」を据え、江戸を守る門番として「鬼」がいました。現代でも魔除けのために屋根の上に「鬼瓦」を置くこともあります。「鬼」は、実は私たちを悪いものから守ってくれる心強い存在でもあるのです。

 そう考えると、「鬼」とは、いったいどういう存在なのでしょうか?
 鬼を悪いものとして位置づけるのか、それとも私たちを守ってくれる存在として捉えるのか?

 日本文化の視点で「鬼」をどう捉えるのかということはその道の専門家を頼るとして、心理学の視点から考えた場合、「鬼」は自分自身のうまくいかない部分、こころの中の受け入れがたい部分と考えることができます。
そして、こころの中の「鬼」の部分と自分自身がどう付き合っていくのか、「鬼」が自分を守ってくれる存在になってくれるにはどうしたらいいのか…こういったことについて考えていくことが、カウンセリングのテーマになることもあります。

 自分自身のこころの中の「鬼」について少しずつ考えていく過程で、「鬼」が悪いものとしてではなく、自分の味方として存在してくれるのであれば、こころ穏やかな時間が流れるように思います。

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